ウィーン中央墓地
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中央・モーツァルトの記念碑 (ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト) |
モーツァルトは聖マルクサー墓地に第3級の葬儀によって葬られ、正確な墓所は確定されていない。 このハンス・ガッセルによる記念碑は1859年に建設されたもので、彼に続く音楽家たちによって囲まれている。 |
【写真左・ベートーヴェンの墓 写真右・シューベルトの墓】 |
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ベートーヴェン (ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン) |
シューベルト (フランツ・シューベルト) |
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モーツァルトの記念碑と並んで最も花束の数が多く、絶えることがないのがベートーヴェンの墓である。 ドイツのボンの生まれだが、1792年以来一貫してウィーンに住んでいたため、墓があるのは当然だ。 |
ミューズによって桂冠を捧げられているシューベルトは、生粋のウィーンっ子で、短い生涯の間に600曲を超える歌曲を作曲した。 『白鳥の歌』の作者らしく、台座には白鳥が彫られている。 |
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チェルニー (カルル・チェルニー) |
ブラームス (ヨハネス・ブラームス) |
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オーストリアで生まれたチェルニーは、ベートーヴェン、フンメル、クレメンティに師事した。 作品は1000曲を越えたが、現在では、日本の俗称『チェルニー30番』『チェルニー40番』をはじめとするいくつかのピアノ教本が、一般には知られるのみである。 |
北ドイツ出身のブラームスは、1862年以来ウィーンに住み、シュトラウス(息子)らを含む音楽サークルの中心にいた。 |