ホーフブルク(王宮)

現在の複雑で、入り組んだホーフブルクの姿は、歴代のハプスブルク家の皇帝が、それぞれに王宮の拡張をもくろんだ結果であり、ホーフブルクは全体的にいえば建築様式の博物館のようにも見える。
最も古い部分は、1220年に骨格ができたスイス宮と呼ばれる部分で、現在は宝物館となっている。
その後、15世紀に宮廷礼拝堂が建設され、16世紀のアマリエンホーフ、17世紀のレオポルト棟、18世紀のスペイン乗馬学校、図書館、アルベルティーナと続き、19世紀末から1914年にかけて新王宮が建設された。
つまり、ホーフブルクはバーベンベルク家の時代に建設が始まり、ハプスブルク家が退位するまでの700年間に渡って、増殖を続けてきたのである。

現在王宮の部屋で一般に開放されているのは、フランツ・ヨーゼフ皇帝とエリーザベト皇妃が日常的に使っていた部屋である。
また、ここではかつての王室金銀器・食卓調度室が管理していた豪華絢爛たる食器調度類もターフェル・カマーとして公開されている。
この棟は内閣官房棟と呼ばれていて、カール6世の時代にルーカス・フォン・フルデブラントらによって建設されてもので、1806年まで帝国の政府官房がここを使用していた。

「シシィ」の愛称で親しまれた絶世の美女、エリーザベト皇妃。
ヨーロッパで最も美しい女性のひとりと謳われた絶世の美女エリーザベト皇妃は、すでに存命中から伝説的存在となりました。
しかし、1898年、暗殺という悲しい最期でこの世を去りました。
その波乱とロマンに満ちた生涯は今日に至るまで多くの人々を惹き付け、映画や舞台のヒロインとなり、また数多くの芸術家たちにインスピレーションを与え続けています。